インフレとデフレ|その意味・日本経済との関係とは

2020年3月2日小ネタ集

今回はインフレとデフレのお話です。

インフレとは何か、デフレとは何か。日本の経済とインフレ・デフレの関係について解説します。

インフレとは何か

インフレは「インフレーション(inflation)」の略

知ってるわい!と言われそうですが、インフレは英語のインフレーションの略です。

経済学の用語ですが、わりと一般的に用いられていて、おそらく義務教育レベルでも教えられている言葉だと思います。

インフレーションとは何か

インフレーションとは「物価が持続的に上昇する現象」のことです。

では物価とは何でしょうか。

「ものの価格のことでしょ?」と思った方、半分正解です。

ものの価格というときには、例えば近所のスーパーに売っているトマトの価格など、個別具体的な商品等の価格を指すのが一般的ですが、「物価」とは、それら個別の価格を集めて統計的な指数として処理した「ものの価格の水準」のことを指します。

すなわち、インフレーションの「物価の上昇」とは、「特定のお店のトマトの価格の上昇」ではなく、野菜も果物も衣服も雑貨も自動車も全部含めた、「全体的なものの価格の指数の上昇」を意味するのです。

インフレーションの原因

インフレはどうして起こるのでしょうか。

実は、原因は様々です。

大きく分けると①需要増によるもの②供給減によるもの③貨幣の供給増によるものの3つがあり、これらの複数又は全てが同時に起こることもあります。

①は物価の上昇が起きても購買意欲が衰えない場合に、物価上昇が持続し、インフレになります。例えば「三種の神器」(電気冷蔵庫、電気洗濯機、白黒テレビ)を買い求めた戦後期の我が国のように、物価上昇とともに賃金上昇が起き、それが持続して経済発展しているような国では、購買意欲が衰えることはありません。

②は、さらに細分化できます。

まずは同じく戦後間もないころに起こった急激なインフレのように、「そもそも供給が極端に落ち込んで需要を大幅に下回ってしまう」というパターン。

次に、原油価格高騰など、原材料費の高騰によるパターン。

他にも、輸出入に伴って国内への供給量が減ったり、他国のインフレの影響を受けたりするパターンなどがあります。

③は、簡単に言えば「貨幣が多いと商品やサービスに対する貨幣の相対的な価値が下がる」ということです。

皆さんは「マネタリーベース」という言葉を聞いたことはありますか?マネタリーベースとは、市中に出回っている現金と日銀当座預金(銀行が他の金融機関との取引を行う場合の決済手段や預金の支払準備のために日銀に預けているお金)の合計のことですが、マネタリーベースの拡大は、貨幣の価値を下げ、インフレにつながります。

以前の記事で「日銀は2%の物価安定目標を掲げている」という話をしました。(参考記事:「金融リテラシーの高め方・FINAL(後編)」

ここでの2%の物価安定とは、2%のインフレのことですので、日本銀行が「ゆるやかにインフレすることが物価の安定だ」と考えているということです。

インフレーションの影響

インフレが起こると、次のようなことが起こります。

物価が上がる一方で通貨の価値が下がるので、預貯金の価値は目減りします。超低金利下で、日銀が2%の物価安定目標を達成した場合、「預貯金は実質的に毎年2%価値が目減りする」ということになります。このことから、投資に消極的な人に対して「預貯金だけでは資産は減少する」と指摘する向きがあります。

また通貨の価値が下がることは、借金の貸し手にとっては返済金額の価値が下がるので損ですが、返済する借り手にとっては得になります。

物価が上昇しても、賃金はすぐには上昇しないため、実質賃金が下がります。実質賃金が下がると、雇用主からすればより多くの人を雇えるので、失業率は下がります。

やがて、物価に遅れて賃金が上昇し、実質賃金も上がり始めます。この過程で、個人消費が増え、経済成長を後押しします。

しかし、物価の上昇率が高すぎると、実質賃金の上昇が追い付かず、個人消費や投資が停滞します。

すなわち、「インフレはある程度(0~5%とされることが多い)までは雇用や経済にいい影響があるが、過度になるとそれらに悪影響を及ぼす」といえます。そのため緩やかなインフレは景気拡大を伴うので「良いインフレ」、急激なインフレは「悪いインフレ」と説明されることもあります。

デフレとは何か

デフレは「デフレーション(deflation)」の略

インフレがインフレーションなら、デフレはデフレーションの略です。

デフレーションとは

デフレーションは、物価が持続的に下落していく現象のことです。

その点では、先に解説したインフレーションの逆の現象だということができます。

先ほど、インフレには「良いインフレ=緩やかなインフレ」と「悪いインフレ=急激なインフレ」があるといいましたが、デフレには「悪いデフレ」しかありません。

なぜでしょう。

それは、経済活動というものは財やサービスの生産と設備投資などを通じて世の中にあるモノの価値を増やす活動なので、経済が健全に成長循環をたどればインフレするのが普通であるのに対し、経済活動をしているにもかかわらずモノの価値が下がる異常事態がデフレだからです。

デフレスパイラルとは

物価が下落すると、企業の収益が落ちこみ、設備投資などを控えるようになります。設備投資や支出の減少は、他の企業の収益の下落を呼ぶとともに、社会全体が需要不足の状態を生みます。物価は需要と供給の関係によって決まるので、需要不足によりさらに物価下落を生みます。

こうして物価の下落と経済の縮小が続いていく現象を「デフレスパイラル」と呼びます。怖いですね。

ただ、物価の下落により相対的に人々の購買力が増大するため、需要はどこかで下げ止まるはずですので、脱却できないというわけではありません。経済の成長循環がある限り、ゆるやかにインフレ圧力は発生していますので、デフレ圧力がある程度まで弱まると、再びゆるやかなインフレに転じます。

日本経済とインフレ・デフレ

戦後の日本経済のインフレ・デフレの歴史を見てみましょう。

敗戦直後(戦後混乱期=占領下)のインフレ

一般に、全面戦争はインフレを生みます。軍需物資に生産設備を取られ、生活物資の供給が滞るためです。大日本帝国政府は、第二次大戦中、莫大な戦時国債を発行することにより戦費を賄うとともに、市中の「資金余剰」を吸収することによってインフレを抑えていました。

しかし敗戦後は、戦争で生産設備が破壊されたことによる供給の激減と、復興需要によってインフレが加速しました。

戦時国債のデフォルト(債務不履行:ここでは国が借金を返済しないこと)は回避されましたが、物価が戦後の数年間で数倍から数十倍戦中は公定価格は物価統制で保たれていたが、実際はいわゆる闇価格はすでに著しくインフレしていたため、どれほどのインフレだったか正確な数値がない)にもなったため、事実上、戦時国債は紙くずになりました。

敗戦時中学生だった私の祖父曰く、「とにかく物がなかった。生活雑貨も食べ物もなく、校庭や空き地にイモを植えて飢えをしのいだ。」とのこと。そんな状態では、わずかばかりの食料や商品に買い手が殺到し、価格が高騰するのは当然ですよね。

その後、政府とGHQによる財政金融引き締め政策(いわゆる「ドッジライン」=デトロイト銀行頭取のジョセフ・ドッジ氏がGHQの経済顧問として来日し1949年2月に立案。)によりインフレは収まり、逆にデフレが急激に進行して不況(「ドッジ不況」)に陥るほどでした。

ちなみに、日経平均株価の歴史上最安値は85.25円で、1950年7月6日、ドッジ不況の最中のことでした。

戦後復興と高度経済成長期のインフレ

戦後の復興期(1950年の朝鮮特需から1954年ごろまで)は、消費者物価上昇率は約15%、実質経済成長率も15%と、高いインフレ率とそれに匹敵する経済成長が続きました。

第二次世界大戦前1940年(昭和15年)の国民所得を回復したのは、1956年(昭和31年)のことです。同年の経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれ流行語になったことをご存じの方も多いと思います。実に11年かかって、ようやく日本は焼け跡から立ち上がり、経済成長への道を歩み始めたのですね。

1954年から1972年までは、ご存じ高度経済成長期です。この期間のインフレ率は平均4.5%と、ゆるやかなインフレーションが続きました。また、この時代は金利も高く、郵便貯金の定期貯金は10年満期で年利10%以上の利息がつきました。もちろん、ローンを組めば同じように高い利息を支払わねばなりませんが。

オイルショック・バブル・そしてデフレ不況へ

(出典:参議院調査室「経済のプリズム」第169号「消費者物価指数半世紀の推移とその課題」)

1970年代の2度のオイルショックは「狂乱物価」と呼ばれる急激なインフレを生みました。1974年の消費者物価指数の上昇率はなんと23.2%にも達しています。

その後、インフレは落ち着きますが、1985年のプラザ合意後の深刻な円高不況への対応として政府が取った積極財政と日銀の金融緩和により、株式・土地などへの投機が盛んになります。

ご存じ、バブル経済の始まりです。

バブル経済の要因は多数ありますが、積極財政と金融緩和、所得税の最高税率の引き下げなどにより資金供給が増大していたところに、原油価格下落、国土庁の「首都改造計画」というレポートでオフィス需要の高まりが期待されたことなどが追い風となったと見られています。

省庁のレポートが思わぬ副作用を生むことってあるんですね。年金2000万円問題も、のちにそのように振り替えられるかもしれません。

バブル経済は、実態を伴わない好景気ですので、いずれは崩壊するものでしたが、問題はどのようにしてその実態なき好景気を鎮静化するかでした。大蔵省は土地関連融資の抑制を各銀行に通達し、日銀は金融の引き締め(公定歩合の引き上げ)を行いました。しかしこれは想定よりも急激に景気を悪化させる結果となりました。

まず日経平均株価は1989年の大納会に付けた史上最高値38,915円87銭をピークに暴落を始めます。地価も翌1990年に大都市圏を中心に下落を始め、地方では1992年頃をピークに下落を始めました。このころ始まった土地価格の下落は、ここ数年でやっと下げ止まったと言える状況です。実に25年間も、地価は下落を続けたのです。

ちなみに、バブル崩壊初期の一部の不動産屋の商売文句は、「地価が一時的に下落している今がチャンスですよ!」だったそう。

その後、政治の混乱(55年体制の崩壊、自社さ連立政権への政権交代など)で政府がバブル崩壊の悪影響に対応できなかったことなども重なり、景気は悪化の一途をたどります。

その後、アジア通貨危機(1997年)が追い打ちをかけて、ITバブルなどの一時的な景気回復はあったものの、大局的には「失われた20年」と呼ばれる長い長い不況が1990年代から2010年代前半の我が国を支配したのでした・・・

この失われた20年の物価はどうだったのでしょう。先ほどのグラフをもう一度ごらんください。

おどろおどろしい加工を加えてしましましたが、確かに消費者物価指数(対前年比)はこの間低迷していますね。

「デフレは不況を伴い、不況は需要を押し下げ、デフレを生む」ということがよくわかると思います。

近年、ようやくデフレからの脱却を目標に掲げた政府・日銀のもとで足並みをそろえた対策がとられ、徐々にではありますがデフレではない状況になってきています。また、米中貿易摩擦の影響も心配される中で、日銀は「物価安定目標に向けたモメンタム(勢い)が損なわれる恐れがあれば、躊躇なく予防的な金融緩和を行う」と表明しています。

やはり、日本経済の先行きを想うと、(かなり長い間達成できずにいる現状をもどかしく思いますが、)日銀が物価安定目標としている2%の緩やかなインフレが早期に達成・維持されることを期待してやみません。いつまでも目標達成時期を先に延ばしているうちに、次なる世界的不況がすぐそばまで…とならないことを期待しましょう。

まとめ

では今回のまとめです。最後まで読んでいただきありがとうございました。またのご訪問をお待ちしております。

この記事のまとめインフレには「良いインフレ(緩やかなインフレ)」と「悪いインフレ(急激なインフレ)」があるが、デフレには「悪いデフレ」しかない。

日本の高度経済成長期は安定した緩やかなインフレとともにあった。バブル崩壊後はデフレ不況に長く苦しめられてきた。

日銀の物価安定目標2%は、経済の持続的な成長を生むために早期の達成が期待される。

小ネタ集日銀, 経済史

Posted by fab